みなさんこんにちは!
ちょっと温かくなったり 寒くなったり・・・
体調管理が難しいですね・・・
みなさんお元気ですか?(変な切り出し方・・・苦笑)
さて。
先日も結婚式ブログを書きましたし、社長も レマンの井上さんも かしましブログにもありましたが
私にも書かせてください、
「一番弟子の結婚式」
先月の今頃 お嫁にいった マンダリンポルトの「ゆりん」プランナーは
私の一番弟子でした
当時 自由が丘あったブルーレマンに
たった一人配属されたゆりん
青いガラスがきれいなブルーレマン自由が丘で過ごした日々が
あの結婚式を前にたくさんよみがえってきました
当時は珍しく大阪からプランナーになるためにやってきたゆりん
私にとって初めての後輩でした
でも
当時は何を教えるどころか ただただ私たちの背中だけを見て
ずっとついてきてくれました
事務所でいつもいろんな話をしていた事
ある日突然 スタッフ数人とゆりんの家に鍋の具材を持っておしかけたこと(笑)
大阪の親御さんの事や毎朝食べるご飯の事・・・・・
雨の日に会場へ向かう途中で
転んでズボンがやぶれたこと、(笑) 朝私が会場に着いたら半泣きで
「あっちゃん 転んだんですー・・・・履き替えに帰っていいですか?」
結婚式の日 会場へ向かうまでの車の中
いろんなことを思い出しました
毎日一緒に大笑いして 時には泣いたこともありました
一番いろんな話をしてきた後輩のような気もしました
思い出は尽きません
配属されたときに
「ゆりんは名古屋に来たけど お母さんたち心配しんかったの?」(名古屋弁丸出しの鈴木です)
そのこたえにゆりんは
「めっちゃ心配されてましたし 反対もされましたよ
なんかあっても知らんで、お母さんたちすぐに行けんから とかって言われました」
そして 披露宴最後に
ゆりんからそんなご両親にむけてのメッセージ
「 『ありがとう』も『ごめんね』も言えなかったのに
『沢山の人を幸せにしたい』だなんて言って家を飛び出してごめんね 」
離れて暮らしてみて改めて感じた親への気持ちや
ゆりんの素直なことばに
涙腺が崩壊・・・
当時のレマンメンバーも召集してくれてありがとうね^^
なんとなく親心で見守って過ごした1日
切なすぎて
ゆりんは素直だったのに 私は素直に気持ちを表現できませんでした
「ゆりん 幸せになってね」
一番弟子の幸せを願う 鈴木がお送りしました
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ブルーレマン名古屋